利休が高僧などの書を好んで以来、
茶道の掛物は、高僧や宗匠の禅語が尊ばれます。
禅語とは、禅の精神を端的に示す短い言葉ですが、
その背景に深い意味が込められているのです。
禅語の意味がわかれば、その掛物を選んだ亭主の趣向も
解ってきます。
是非、よく使われる禅語について、その意味を覚えておきましょう。
喫茶去
直接の意味は、
「まあ、一つお茶でも飲んでいきなさい」
という意味ですが、
茶道の亭主は、誰に対しても無心に美味しいお茶を
点てるべきであると意味が含まれます。
この軸が掛けられていたら、
「誰にでも美味しいお茶を差し上げますよ。飲んでいきなさい」
と亭主は伝えたいのだと感じとり、
客として大いに茶会を楽しめばよいのです。
本来無一物
禅の根本思想とも言われる、中国の六祖慧能禅師の言葉で、
「人間は本来裸で何ももっていない。」
という意味です。
過剰な自意識や執着心を捨て、一つのことに懸命に打ち込むことが
大切であるという教えです。
茶道に限らず、根本的な人間の心の持ち方についての深い意味を
持った言葉なのです。
松無古今色 竹有上下節
「松に古今の色なし、竹に上下の節あり」
と読みます。
松が常に青々としているように、道理は変わらない。
竹には必ず上下に節があるように、
何事にも、厳然と上下の区別があるという意味です。
何事にも不変的なけじめが存在するということを語っています。
松樹千年翠
これは、茶席で最もよく見かける禅語の一つでしょう。
松の変わらぬ緑を讃えているため、目出度い席には欠かせない軸です。
実は、この禅語は、「不入時人意」という句が続き、
「変わらぬ松の緑の美しさに、残念ながら人は気づかない」
という意味をもっています。
薫風自南来 殿閤生微涼
「薫風(くんぷう)、南より来る、殿閤、びりょうを生ず」
と読みます。
南から暖かな風が吹き、楼閣の部屋にさわやかな雰囲気が
醸し出されるという意味です。
さわやかな南風が吹き始める5月ごろに好まれる禅語です。
私たちも、人をさわやかにさせる風のようになりたいものですね。
清風払明月
「明月」とは、陰暦8月15日の十五夜の月のことです。
空に明るく輝く月に、清らかな風がさっと吹き抜けたという意味で、
少しの雲もない清らかな美しい状態を表す美しい禅語です。
中秋の名月の時期には、この禅語に出会う機会も多いのではないでしょうか。
紅炉一点雪
真っ赤に燃え盛った暖炉の上に、ひとひらの雪が舞い落ちるが、
雪は一瞬で溶けて蒸発してしまいます。
この禅語は、
「人生も雪のように、実に儚いものだ」
と語っています。
冬の茶席でこの禅語に合うと、炉の中で赤々と燃える炭を思い、
ほっと暖かな気持ちになるのは私だけでしょうか?
一花開天下春
「一輪の花が開いて天下が春になる」
という意味ですが、加えて、
一人の人間があらわれることで、世界が救われる
という大きな意味が含まれています。
私たち一人一人が、その「一花」になりましょう
という教えです。
春先に好まれる禅語ですが、この語に出会ったら、
「自分の花」を咲かせようと思い起してください。
力囲希咄
これは千利休の辞世の句の一部です。
「力囲希」は、「うぉおー」という叫び、
「咄」は「バカもの!」と叱りつける言葉です。
利休の辞世の句は、様々な解釈がされていますが、
その本当の意味はわかっていません。
ただ、何ものかに対する怒り、最後に何かを切り払う凄味が
伝わってきます。
利休の生き方の厳しさ、思いの激しさを
感じることができる言葉です。
日々是好日
文字通り、毎日毎日が最良の日であるという意味です。
理想の状態ではありますが、人間、いい時もあれば、
必ず、悪い時もあるものです。
毎日を大切に過ごすように心がければ、
悪いことがあった日も、
よい日と受け止めることができるのではないでしょうか。
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