遥か昔、真夏の炎天下の校庭で猛然と移動しながら楽器を鳴らす
という数奇な練習をしていた時。
意識朦朧とした仲間達に一言、友人が言いました。
「滅却心頭火自涼 しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし」
極度の疲労ピークにいた高校生達は、その言葉にドン引きの上スルーしたわけですが、
実はそのタイミング、真夏という季節、まさにドンピシャの禅語選択。
あの友人は禅師だったのか!?といまだに鮮明な印象が残っています。
茶道をやっていると、床にある書・禅語はいつもストレートにわが身を問うてきます。
言葉の持つ重みは、その茶室に明確な意図を持たせるのです。
季節によって使われるものが違う12か月の禅語を知っておくと、
茶席でもとても役に立ちますよ。
茶道で使われる禅語と季節
茶室に用いられる禅語は亭主の趣向によるものですから、
必ずしも季節によって変えるとは限りません。
無季ものとして有名な禅語もたくさんあります。
こちらでは禅語や禅の思想についていろいろと紹介されていますので、
是非ごらんになってください。
しかし、禅語は茶花と同様に季節感を出してその意向を表現することもあるのです。
この季節にはこの禅語、という決まりはなく解釈によっても変わることはあります。
とはいえ、やはり春には春の、夏には夏に合う禅語があるのです。
主に春には花という字を含むもの
夏には水や雲という字を含むもの
秋には月、落葉という字を含むもの
冬には雪という字を含むもの
このように抑えておけば大丈夫です。
茶道の禅語とその意味12か月・1月~3月
比較的使われることの多い禅語を挙げてみます。
1月
松樹千年翠 しょうじゅせんねんのみどり
いつも緑で長い年月みずみずしい松。変らない仏の真理を説き続けている
ことに日常の忙しさに追われて、気がつかないでいるという意味。
長寿や健康を祈って正月に使われます。
2月
一花開天下春 いっかひらきてんかはるなり
一輪の花が開いて、天下に春がやってきた喜びを表します。
禅という花が世の中に広められ、泰平の世が来たということや、
一輪の花が開くように修業を積むことも指します。
3月
人生七十 力囲希咄 じんせいしちじゅう りきいきとつ
吾這寶剣 祖佛共殺 わがこのほうけん そぶつともにころす
堤る我得具足の一太刀 ひっさぐる わがえぐそくのひとたち
今此時ぞ天に抛 いまこのときぞ てんになげうつ
利休切腹の際の辞世の句です。
人生70年生きてきた。さまざまなことがあったがそれともさらばだ。
私の宝剣で全てを断ち切り、今こそ我が太刀を引っ提げ天に抛とう。
利休忌では利休像とこの句を床に掛けます。禅語とは異なりますが、
利休の到達した境地、あるいは無念とも取れる燃えるような辞世の句です。
利休忌の茶花についてはこちらでもご覧になってください。
茶道の禅語とその意味12か月・4月~6月
4月
柳緑花紅 やなぎはみどりはなはくれない
柳は緑色、花は紅色をしているように、あたりまえにあるがままの自然な
姿が一番尊いという意味です。
5月
薫風自南来 くんぷうみなみよりきたる
季節の変わり目に、爽やかな風が南より来る。
その微妙な季節感を感じる心の余裕をもつのがよい、という意味です。
6月
山是山水是水 やまはこれやまなり みずはこれみずなり
修業を重ね、余計なことを捨て去って到達した結果、
やはり山は山であり、水は水であるという境地を意味します。
茶道の禅語とその意味12か月・7月~9月
7月
青山元不動 白雲自去来
せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらい
夏が来て青々した不動の山がはっきりと見えてくる。しかし
すぐそこに動きの絶え間ない雲が湧き出でているのがわかるように
人の心は不動ではなく、常に妄想や煩悩が渦巻いている。
仏性を信じ、惑わされない境地を目指したいと
いう意味です。
8月
心静即身涼 こころしずかなれば すなわちみすずし
真夏の暑い時の修行は苦しいもの、しかし心を静め澄ませれば
身体も清涼となる、という意味。
冒頭の心頭滅却と通じるものがありますね。
9月
清風 明月 せいふう めいげつ
清らかな風と澄み切った月は執着を捨てた悟りの境地を意味します。
茶道の禅語とその意味12か月・10月~12月
10月
掬水月在手 みずをきくすればつきてにあり
手に届かない高さの月も、手の中の水に映る月ならば掬う(すくう)ことができる、
ということから、何もしないでいては何も得ることがない、
行動をして結果を得るという意味です。
11月
秋沈萬水家々月 あきはばんすいにしずむかかのつき
秋にはどの家にも月が輝き、あらゆる湖水や水たまりにさえ
月が映る。仏性はあらゆるところに満ち溢れている。
自然の恵みや、自然と生きる喜びを得ることができるという意味です。
12月
看々臘月尽 みよみよろうげつつく
臘は命を指し、みるみるうちに命が尽きようとしていることを
覚えておき、1日1日を大切に生きよ、という意味です。
臘月が陰暦の12月なので年末の茶室に掛けられます。
どれも奥深く、どこか心に残る禅語。
己に問いかけ、自ら考え抜く禅語。
冒頭の、心頭滅却すれば火もおのずから涼し、の言葉は信長に焼き打ちにされた
禅僧の最後の言葉だと言われています。
ドン引きしてる場合じゃなく、居ずまいを正して再考すべき禅語でした・・
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