茶禅一昧とは茶道と禅の関係を表す言葉としてよく使われ
ますが、茶道と禅とは何故つながっているのか、その関係は
わかっているようで、いざ説明するとなかなか難しいものが
あります。
茶道と禅のつながり、いったいどこに共通点があるのでしょうか。
そもそも禅とはいったい何か
「禅」とはインドの仏教の修業の中のひとつで、静かに座り呼吸
を整え精神を統一する「ドゥヤーナ」がその元であるといわれて
います。
仏教がインドから中国に伝わると、当然「禅」も取り入れられる
ようになりますが、はっきりと形になってくるのは、6世紀頃、
インドの達磨大師が中国にやってきてからです。
やがて中国に広がった禅は、日本からやってきた僧侶たちに
よって日本に持ち込まれ、栄西は臨済宗を、道元は曹洞宗を
日本で広めることになります。
達磨大師と梁の武帝との問答の「不識」は有名ですね。
禅の中のお茶の役割
禅宗は、唐の時代に広まり、その禅寺の僧侶たちの修業の
生活の中にお茶に関しての儀式がすでに確立していたと
言います。
栄西が「喫茶養生記」でも記したようにお茶は薬効としての
意味があり、僧侶たちにとっては眠気を払うものでもありました。
栄西が開祖となった建仁寺には、四頭茶礼(四ツ頭茶会)が
残っており、四人の正客と連客に四人の僧侶がお茶を差し上げる
儀式で、現在の大寄せの茶会を見るようです。
禅寺では、僧侶たちの修行のひとつとして「お茶」が存在して
いました。
また、禅寺にて茶園があったこともわかっており、お茶の栽培も
「作務」の一環として行われていたようです。
茶道の中の禅
禅が日本に伝わる以前にも、日本にはすでにお茶が存在して
いましたが、もっぱら権力者や寺院の中で嗜まれるものでした。
室町時代には闘茶や広間での台子の茶が主流であり、中国から
渡ってきた唐物道具を使い、ご馳走やお酒も振舞われるような
大掛かりなものでした。
それを現在の形の茶道に近づけたのは村田珠光で、茶の形式よりも
茶のかかわりかた、心構えを重視しました。
酒色をつつしみ、我執、我慢(わがまま)をせず、
万事に気遣いし、茶会、茶事は一生に一度の会と心得よ、
と説いています。
珠光は大徳寺の一休禅師に師事し悟りを開いたと言われており
「仏法も茶の中にあり」として、禅宗の思想を茶の湯に取り
入れました。
四畳半の草庵の茶室を真の茶室とし、露地の原型をととのえ、
また、珠光が一休禅師からいただいた圜悟禅師の墨蹟を床に
掛けたのが、茶道で床に禅僧の墨蹟を書けるようになった
きっかけと言われています。
その後に続いたのが、利休の師匠でもある武野紹鴎で、紹鴎は
珠光の茶をさらに侘びたものに改革していきます。
和歌に造詣の深かった紹鴎は、和歌の「侘び」の精神を取り入
れたともいいます。
その二人の功績をまとめて現在のような茶道の形を作ったのが
千利休です。
珠光、紹鴎、利休に共通するものは禅寺にて修行を行ったこと、
禅の思想(精神)を体験していたことです。
禅の思想(精神)とは
禅といえば、心を無にして座禅を行うというイメージがあります。
また、臨済宗では公案と呼ばれる問答が修行の一環として行われ
ています。
禅宗の僧侶たちの逸話の中には、師匠に言われたたった一言で悟りを
開いた人もいれば、座禅も公案もなしに日常の作業の中で悟りを開い
た人もいます。
また、何のために座禅をするのか問われた弟子が、悟りを開くため
と答え、師に諌められた話もあります。
悟りを開くことを目的としながら、また悟りを開くことにこだわる
ことも間違いであるという、心であれこれ判断せず、ただ今なすべき
をする、日常のあらゆるところに修行の場があると考えるのが禅の
考えであるのかもしれません。
まとめ
茶道は、ただ一服のおいしいお茶をお客様に点てるために、日々の
お稽古に励みます。
「おいしいお茶」とは、抹茶の味だけではなく、亭主、客、茶室、
花、道具、すべてが一体となって作り上げるもの、茶室の雰囲気、
亭主の振る舞い、客振り、すべての要素をふくんだ「おいしい」です。
自分一人では成し得ない、人と物とのつながり、自分の心持が茶会
や茶事をよいものにするかどうかが決まります。
ほめてもらおうとか、少しでもよく見せたい、自分はこんなに点前が
できる、などという安易な思いではなく、ただ、日々のお稽古に一心
に打ち込む。
それが、結果として「おいしいお茶」を点てられる結果につながるのだと思います。
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