日本の遺産、大徳寺をご存知ですか?
茶道を習われている方はご存じの方も多いかもしれません。
そう、大徳寺は茶道にとっても縁のあるお寺なのです。
「茶人面(ちゃじんづら)」と呼ばれるほどでした。
私は茶道を習い始めて数年なのですが、大徳寺が茶道と関わりが深いというのは最近知りました(+_+)
一度行ってみたいと思っているのですが、まだ大徳寺に行ったことがことがありません。
大徳寺への思いは募るばかりです・・・
そこで、大徳寺について調べてみましたのでご紹介します。
いつか実際に大徳寺に行けることを信じて・・・
大徳寺と茶室
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山です。
1315年、大徳寺の開祖である宗峰妙超が
洛北の紫野に小堂を建立したのが大徳寺の起源と言われています。
1325年、花園上皇が宗峰に帰依し、
大徳寺を祈願所とした頃に本格的な寺院の形態になりました。
侘び茶の創始者、村田珠光が一休に参禅して以来、茶の湯と縁の深い寺となり、
千利休など多くの茶人が大徳寺と関係を持っています。
大徳寺の建物は重要文化財に指定されていて、
中でも茶室「忘筌」は茶の湯を知るものなら一度は訪れたい
聖地ともよばれています。
三玄院と茶室
大徳寺境内西にある塔頭のひとつです。
1589年、浅野幸長、石田光成、森忠政が春屋宗園を開祖として建立しました。
茶道に縁の深い、小堀遠州、古田織部らは春屋宗園に禅を学んだと言われています。
茶室「篁庵」は、三畳台目、八窓のつくりで古田織部好みの茶室です。
高桐院と茶室
大徳寺境内西北にある塔頭のひとつです。
1601年、利休七哲の一人、細川忠興によって創建されました。
利休邸移築の書院に続く茶室「松向軒」は豊臣秀吉の北野大茶会に使用されたものを
移したと言われています。
大仙院と茶室
大徳寺境内の北にある塔頭のひとつです。塔頭の中では一番古い歴史があります。
1509年、六角近江守政頼が、その子岳宗亘和尚を開祖として創建しました。
書院の間は千利休と豊臣秀吉の縁の茶室です。
黄梅院と茶室
大徳寺境内南東にある塔頭のひとつです。
もとは黄梅庵といったが、1583年、豊臣秀吉や小早川隆景の帰依
のもと築を改め、1588年に黄梅院と一新したと言われています。
書院「自休軒」は伏見城遺構を移したと言われています。
茶室「昨夢軒」は四畳半で院内で最も古い建築です。
当初、茶室は独立して建てられていましたが、
書院建立時に移築され、書院に組み込まれたということです。
玉林院と茶室
大徳寺境内南西にある塔頭のひとつです。
1603年、御所に出入のあった医師曲直瀬正琳が月岑宗印を開祖に創建したと言われています。
茶室「南明庵」は西の茶席「蓑庵」、東の茶席「霞床席」から成ります。
造りに侘び茶の神髄があるといわれていて、
ここでは茶事に基ずいた仏事を行うそうです。
ほかに茶席「洞雲庵」があります。
聚光院と茶室
大徳寺の西にある塔頭のひとつです。
1566年、三好義嗣が父を弔うために建立しました。
千利休が檀家となって多くの資財をよせ、以来、
茶道三千家の菩提所となっています。
境内には利休の墓の他、歴代三千家の墓があり
毎月28日に茶の供養が行われています。
茶席「閑陰席」は利休好みの三畳台目の茶席です。
他に茶席「枡床席」もあります。
そうだ、京都へ行こう!
大徳寺とその周辺について調べて行くうち、
無性に京都へ行きたくなってしまいました。
大徳寺をはじめ、大徳寺境内やその周辺だけでも
国宝、重要文化財が山ほどあります。
大徳寺周辺だけでも見応え十分ですね。
調べた大徳寺周辺のお寺には見学だけでなく、
誰でも参加できる月釜を開催しているところもあるようです。
茶道を習っていても、いなくても
大徳寺に行ってみる価値はありそうですね。
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