「茶の湯」の精神と聞いて思い浮かぶのは
「詫び寂び」という言葉ではないでしょうか。
私もなんとなく、日本らしい庭園や簡素で
趣のある風景を見ると「侘び寂びを感じるな~」などと思ったりしていますが、
この使い方、合ってますかね?
侘び寂びとは実際どんなものなのでしょうか。
「侘び寂び」、「侘び」ってなに!?
「侘び寂び」は、「侘び」と「寂び」という二つの日本語で成り立っています。
「侘び」には、気落ちする、辛いと思う、落ちぶれるという意味があり、
中世以降に形成された美的理念の一つで、
特に茶の湯文化で重視されてきました。
言葉で表すのは難しいのですが、
簡素の中に見出される閑寂を楽しむ心と言えます。
万葉集の中でもこの概念がありますし、
「侘び茶」という茶の湯もあります。
侘び茶は村田珠光が創始者で、
千利休が大成したと言われています。
道具の豪華さや派手さで競うのではなく、
無駄なものをそぎ落とし、より精神性を求めた茶の湯です。
兼六園にある「夕顔亭」という茶室がありますが、
こちらは侘び茶に使われる茶室で、
他の建造物からも隔離して建てられており、
塗装もあまりされていない自然のままの情感を大切にしています。
この自然体で趣のある落ち着いた
情緒を楽しむ事が侘びの真髄となるのです。
「寂び」って!?
「寂び」とは、粗末な様子、寂びれるといった意味です。
世の中にある物は年月が経つにつれて劣化していき、
さびれ、古くなって汚れていきますが、
逆にそれを変化がもたらす美しさとして見出すものです。
つまり、「侘び」と「寂び」は別の概念ですが表裏一体で、
不完全を美しく思う心なのではないかと思います。
「侘び寂び」は世界にも認められている日本人の心!!
侘び寂びを言葉や文章で表すのは本当に難しいことです。
人それぞれの感じ方によっても違いますし、
何が正解ということもないですし・・・。
私が茶道を通して感じる侘び寂びは
歴史ある茶道具の佇まいや、
決して派手ではないけれど
いつまでも見ていられる簡素で美しい庭を見た時です。
私の茶道の先生は季節に合わせて
様々な茶道具を準備してくださるのですが、
お茶碗や茶入れ等々、歴史のあるものも中にはあります。
長い年月を重ねてきたからこその趣といいますか、
手になじむかんじはなんとも言えない情緒があります。
かといって必ずしも高価な品というわけではないですし、
そんな立派なものを見抜く目など私にあろうはずもありません(笑)
しかし、侘び寂びとは人それぞれ。
夕日を見て美しいけどなんとなく寂しいとか、
道の隅っこに遠慮がちに咲いている野の花を美しいと思うなど、
誰もが日常の中で自然と感じる気持ちが
侘び寂びという精神なのかなと私は思います。
日本人の心とよく言いますが、
Simple is the Best.という文句があるように、
余計なものを排除し必要なものだけで
閑寂を楽しむ事を重視する感覚は
世界でも通用する日本の伝統文化なのだと思います。
現代は物や情報が溢れすぎていて、
本当に大切なものが見えにくくなっているところがあります。
そんな中で「足ることを知る、つつましさを知る」
侘び寂びの精神はますます見直されるべき
日本人の心なのかな~なんて思いました。
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