茶道で抹茶の入れ物といえば、
棗(なつめ)と茶入(ちゃいれ)です。
木製の棗は薄茶器の代表ですから、
原則では薄茶を入れます(茶通手前の時には、濃茶が入ります)。
棗本体の装飾は本当にバリエーションがたくさんあり、
おおぶりのものが多いです。
そして陶磁器製の茶入はおおむね黒、
茶など単色で大きさは大小いろいろで、濃茶を入れます。
驚かれるかもしれませんが、
あらゆる茶道具の中で最も高価な道具とは、茶入なのです。
しかもその昔は土地の価値と同等だったとは、いったいどうして?
まずはまた歴史の紐を解くことから始めましょう。
茶入の歴史
時は安土桃山時代。
関白豊臣秀吉は成果をあげた家来に対し、
敵から奪った土地を褒美として与えていました。
しかしながらここは狭い日本です。
土地には限りがあり、よい働きをした家来の頭数だけの土地が
なくなってしまうという事態になりました。
そこで考えた秀吉は、
土地ではなくて茶入を褒美として与えることを始めました。
以前もお話しした通り、
当時の日本では武士の間で茶道が盛んに行われており、
茶道をたしなむことは、武士としての一つのステータスでした。
茶道を行うための道具は、
華やかで高価な値段がつくものがもてはやされ、
中国や韓国からの流通も盛んにあり、値打ちもの茶道具を持っていることは、
十分な土地や財産を保有するのと同じく上級武士であるプライドとなっていきました。
さらには茶入が最も価値をもつ物として扱われることとなりました。
この「土地の代わりに茶入を与える」という風習は長く続けられました。
茶入は職人の手によって作られるものですので、
まったく同じものがこの世に存在しません。
これがまた茶入れの価値を高めるわけです。
自分の身に何かあったときに、残された家族は安全のために、
着の身着のまま状態で逃げなければなりません。
茶入であれば簡単に持って逃げることができます。
また、伝達手段は実際に自分の目で見た、
口伝えあるいは手紙しかないこの時代に興味深いことですが、
高名な茶入の持ち主が誰であるかは周知のことであったため、
他の地に逃げたときにどこの人間であるのかに関する証明にもなるという意味でも、
当時の人にとって茶入は重要な存在だったといえます。
今回は詳しくお話しませんが、
茶入れには、唐物茶入と国焼茶入の2種類があります。
現在でも茶道具の中で最も上位に当たる道具は、
茶入れの中でも唐物茶入(からものちゃいれ・中国製の焼き物)で、
唐物以上の上級の点前で使います。
現在も茶入には、値段がつけられないもの、
何億円もの値段がつくものもたくさんありますので、
最上位の茶道具であることは、ナットクですね。
茶入の蓋の裏に金箔や銀箔が貼ってあるのはなぜ?
茶入の本体は陶磁器製です。
蓋は象牙で、内側に金箔か銀箔が貼ってあります。
その金箔、銀箔の上に、彫り物や、花押があることも。
どうして象牙で金箔か銀箔なのでしょうね?
諸説ありますので、順番に紹介します。
象牙は毒物を近づけると自然に割れるという言い伝えがあったので、
茶入の蓋には象牙が使われたという節がありますが、
残念ながら科学的にみて疑問です。
金箔と銀箔を使う理由その一
毒と金、銀が触れると変色するため、
万一、抹茶の中に毒が入っていた場合に発見できるため、
蓋の裏に金箔か銀箔が貼られていると言われています。
金箔と銀箔を使う理由その二
殺菌作用を期待して、蓋の裏に貼ってあるという節もあるようです。
うーん、どちらも化学的には蓋が象牙製である理由同様、非常に疑問ですね。
金箔と銀箔を使う理由その三
特に深い意味もなく、貴重な象牙の蓋だから、
最高の装飾を施したというのが正しいのではないかということです。
どうやら、その三説が正しいようですね。
いずれにせよ、高価な象牙の蓋と、金箔か銀箔が蓋の裏に貼るとあっては、
それはそれは高価なものとなります。
どうでしょう、茶入を拝見したくなってきませんか?
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